原酒造の創業は江⼾時代後期
⽂化⽂政の時代です.
創業者である原幸太郎(鍋屋幸太郎)は
柏崎で製塩⽤の鍋修理などを⾏う
鋳物師の家に⽣まれました.
幸太郎は家業を継ぐのではなく
⼼機⼀転に酒造業を志し
家督の全てを妹に譲ったのちに
「原酒造店」を開業します.
造り酒屋となってからも原酒造店は
周囲から「鍋屋さん」と呼ばれ親しまれました.
蔵に刻まれた「◯な」の
⽂字は屋号である「鍋屋」から来ています.
当時の銘柄は「鵜川」や「花堤」といった
付近の地名から名付けたものでした.
四代⽬ 原吉郎の時代に
柏崎では柏崎⼤⽕(桐油屋⼤⽕)と呼ばれる
⼤⽕災が発⽣しました.
海⾵に煽られた⽕に巻き込まれる形で,原酒造店は
蔵⾃宅含めた全ての建物を焼失してしまいます.
廃業の危機に瀕した四代⽬は思い悩みながらも
「酒とは⼈に寄り添い⼼を豊かにするもの」
「無くしてはならないもの」であると⾒出し,
復興に⼼⾎を注いでいきました.
この考え⽅が原酒造の酒造理念である
「幸せを呼ぶ酒造り」の原点となっています.
四代⽬と蔵⼈たち,周囲の⼈々の尽⼒によって
1926年に東蔵,1937年には⻄蔵を竣⼯し
原酒造は復活を果たしました.
当時懇意であった酒蔵の廃業に際し
原酒造は「越の誉」の銘柄を譲り受けました.
四季醸造可能な「清澄蔵」も完成し
原酒造は新たな段階へと進んでいきました.
1972年の⽇中国交正常化記念晩餐会では
乾杯酒として「越の誉 もろはく」が選ばれています.
平成に⼊ると
全量⾃家製⽶体制を整えるとともに
地元農家協⼒のもと
原料⽶の契約栽培を始めていきます.
品質の向上によって1997年には
全⽇空国際線のファーストクラスに採⽤され
翌々年には地元限定ブランド
「銀の翼」が誕⽣しました.
国の研究機関や契約栽培農家の協⼒のもと
「越神楽」「春陽」などの新品種⽶の開発に着⼿し
原料⽶へのこだわりを⼀層深めていきました.
中越沖地震によって震度6強の揺れに⾒舞われ
社屋7割が全壊という甚⼤な被害を受けます.
七代⽬ 原吉隆を中⼼に
蔵⼈社員全員が奮起して復旧作業に取り組み
⻄蔵・東蔵に代わる新蔵 和醸蔵や
直売店 酒彩館を竣⼯します.
その後も⻑い復興への道のりを
歩んでいくことになりました.
令和に⼊り,蔵のルーツを⾒つめ直す
第三のブランド「弐式」が誕⽣します.
和醸良酒
“蔵⼈の和の⼼が良酒を醸し、
良酒は全ての⼈の和の⼼を醸す”
美味しさとあたらしさを追い求め、
原酒造の酒造りへの挑戦は続いています.
National Tax Agency
International Wine Challenge